Essays
「両国一島」で非対称のボーダーランドを眺める [pdf版]
黒岩幸子(岩手県立大学、JCBS会員)
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昨年にひき続きまた中露国境紀行に出かけたのは、できたてホヤホヤの国境線を見たかったからだ。
地形的な区切りがあるわけでもなく、歴史的な境界があったわけでもなく、
中露のどちらかが主張していたわけでもない場所に忽然と引かれた直線、
不可逆的な国境画定のためだけに生まれた境界線だ。
世界唯一内陸「両国一島」と中国が自慢するとおり、
その国境線はアムール河のだだっ広い中州(ロシア名:大ウスリー島・タラバーロフ島、中国名:ヘイシャーズ島)を
律儀に二等分していた。
2008年に最終国境画定に至るまでの半世紀に及ぶ中露攻防戦については、岩下明裕氏の著作を参照されたい。
この稀有な国境線の両側に今後どのようなボーダーランドが展開してゆくのか、
専門家たちの定点観測が続くだろう。以下は、2日間で両側を眺めた印象記。
ロシア側 – 揺らいだ国境線と揺るがぬ国境住民
正直なところ、ロシア極東の中核都市ハバロフスクがこれほど国境に近いとは地図を手にするまで知らなかった。
長年のロシアによる実効支配を経て中露が折半した件の島は、ハバロフスク市の真正面から西方向へと細長く伸びている。
ハバロフスクから見ると従来の境界線が揺らいで中国が近づいたわけだが、
大音量のマイクを使う中国人ガイドに率いられた旅行者グループに遭遇したことを除けば、
町に中国の気配は感じられない。
去年訪ねたウラジオストクが中国人で溢れていて、国境の透過性が高まっているのが実感されたのとは対照的だ。
ハバロフスク住民の気持ちは、町を案内してくれたガイドさんの言葉に集約されているようだ。
「住民は国境画定のことをあまり知らないし、無関心です。町に国境が近づいたのは良いことではありません」。
バスで南下して立派な橋を渡って大ウスリー島に上陸した。
草地の中の道路を走って国境線のある島の中央部に向かったが、
案内人がここまでと静止した場所からよく見えたのは中国側の高い塔や歩哨所だった。
空き地に資材が積んであるのは、何か建設予定があるからだろう。
一面草地のこの島に大した使用価値があるとは思えず、
警備が厳しいわけでもなく、ちょっと拍子抜けして来た道を戻った。
中露が対峙する境界を目の当たりにしたのは、むしろ次に行ったカザケーヴィチェヴォ村だった。
ハバロフスクから南西に40キロ、アムール河とウスリー河の合流地点にある国境警備隊の駐屯地だ。
村に続く道路に検問所があり、パスポートチェックを受けた。
村の小さな展望台に立って驚いたのは目の前にウスリー河の対岸、
つまり中国が迫り、「華夏東極太陽広場」の「東」の文字を象ったモニュメントが見えることだ。
そうか、島の境界画定のずっと前から、この辺りで中露は近接していたのだ。
まだソ連時代だった1990年夏に、新潟県の代表団の通訳としてハバロフスクを訪れたことを思い出した。
会議の後に行政府の担当者が、県知事だけ特別にご案内したいと言うので私もお供した。
小雨に降られながら森の中をかなり走ると、この先は国境地帯、国境警備隊の拠点があるので
これ以上は進めないということでUターンして町に戻った。
途中で迷彩服の軍人を乗せたトラックとすれ違っただけで、何か見物させてもらったわけでも、
河を眺めたわけでもない。
なーんだ、ただのドライブじゃないのと内心シラけたが、あれは立入制限地区をサービスで見せてくれたのだろうか。
場所を確認しておけばよかった。
カザケーヴィチェヴォ村では慎ましい郷土史博物館や退役軍人の家を訪ねたが、ハバロフスク市内と同様に、
島を折半したことに対する感慨や特別な対中意識は感じられなかった。
もっとも、村の人口1500人のほとんどを占める国境警備隊とその家族の施設や住居は見せてくれなかったので、
彼らが何を考えているかはわからないが。
わずかな展示物を熱心に説明してくれた博物館の館長さんの話によると、
村は中国側と定期的な交流を持っており、特に問題はないそうだ。彼女の関心はもっぱら環境保全にあり、
これまでロシアが大切にしてきた大ウスリー島の自然や生態系を中国側が護ってくれるのかを危惧していた。
その危惧が妥当なものであることは、翌日中国側に入ってよくわかった。
中国側 – 変貌する国境地域と地図上の国境線
ハバロフスクのみすぼらしい船着場から小型船でアムール河を1時間20分遡れば、
そこはもう中国最東端の町、撫遠。静寂のロシアから喧騒の中国へ一気に飛び込んだ。
内陸のアムール河岸という自然環境なのに、撫遠にはどこか猥雑で活気に溢れた東南アジアを思わせる空気が流れている。
ホテル近くの市場を覗くと軽トラック、バイク、リヤカー、人が行き交い、得体の知れない大小の川魚、
肉類、野菜、果物、衣類などが脈絡なく売られていた。
普通のアジアの町と違うのは、中露二言語併記が目立つことだ。
商店やレストランの看板には漢字とキリル文字が仲良く並んでおり、
ロシア語が通じるところも多いそうだ。地元の若いガイドさんも、
現在勉強中というたどたどしいロシア語で元気いっぱいに話してくれた。
国境に接近する通路 |
昨日と同じくバスで、今度は中国側からヘイシャーズ島に上陸すると、国境に対するロシア側との温度差は歴然としていた。 「ヘイシャーズ島湿地公園」がきれいに整備され、 「景観大道」という立派な道路がある。木道を歩いて国境標柱の除幕式が開かれた場所に入ることもできた。
国境標柱 |
ヘイシャーズ島にはロシア側に7 つ、中国側に8つ、合わせて15の国境標柱が建っており、その一つがここにある。
標柱除幕式記念看板 |
そばには「ロシア連邦と中華人民共和国東部における国境標柱除幕式 2008年10月14日」のバカでかい看板もあった。
ロシア側からよく見えた高さ81メートルの「東極宝塔」の上から島を眺め、1階の展示パネルを見て回った。 それによると撫遠は中国7ヶ所にある「沿辺沿海開放重点区域」の1つで、 「中露ヘイシャーズ島跨境合作試験区」が設置されている。 習近平総書記がこの島を訪れて視察した際に提案したのは、「生態保全、観光発展、国家戦略『一帯一路』に従い 『中蒙露経済走廊』建設に参加、国境開通加速、対外開放拡大」。 「一帯一路」とは、インフラを整備して欧州などとの貿易を促進する壮大なシルクロード経済圏構想だ。
国境の島を後にして昨日カザケーヴィチェヴォ村から眺めた太陽広場に向かった。ここが中国本土の最東端だ。 太陽を象徴する金ピカの球をてっぺんに載せた「東」文字モニュメントは近くで見るとかなりの迫力。 広場の周囲には四阿があり、訪れた人たちが散歩したり写真を撮ったりしている。品揃えはぱっとしないが、 ロシア製品を売る大きな土産物店もある。対岸に目を凝らすと、昨日訪れた展望台が小さく頼りなげに見えた。
ところで、中露が国境画定の「領土交接儀式」を行った場所は、「ヘイシャーズ島回帰交接処」と呼ばれる。 「回帰」(復帰)の2文字に、もともと中国の領土だったという認識が滲み出ている。 また、「東」モニュメントの高さ49メートルは、中国建国の年である1949年に因んだもの。 東極宝塔のある広場の直径171メートルは、ヘイシャーズ島を折半して中国領になった面積171平方キロに因んだもの。 観光開発の陰に強い愛国的トーンを感じずにはいられない。
撫遠の地図 |
2014年発行の「撫遠県旅遊交通図」で、ヘイシャーズ島の新しい道路や観光名所が正確に記載されているから、 うっかり間違えたものではなさそうだ。 ただし、「回帰交接処」の説明には「両国領土的永久性分割標志」とあり、面積折半の国境画定を否定しているわけではないようだ。 それにしても、この国境線はロシアに喧嘩を売っているとしか思えない。 ハバロフスクで買ったロシア製地図には、島を折半する正しい国境線が引かれていたのに。
撫遠に来るロシア人がこの地図を見たら、さぞや気分を害するだろうと他人事ながら気を揉んでいるうちに気づいたことがある。 この地図は中国語表記のみでロシア語も英語も併記されていない。つまり、中国人観光客専用の地図なのだ。
撫遠のロシア語ガイドブック |
ではロシア人観光客はどうするかというと、アムール河を走る船中でもらった全23頁、
完全ロシア語版パンフレット『撫遠 私たちの時代 ガイドブック2017』を見れば良いのだ。
これにはロシア人が何を買い、何を食べ、何を見ればよいか、必要なことがすべて書かれているが、ヘイシャーズ島には触れていない。
観光名所として太陽広場の「東」モニュメントは紹介しても、島の名所は出てこない。
このパンフレットからは、島以外のいろいろな情報が得られた。
晴れた日にはハバロフスクの栄光広場から65キロ先の撫遠の町が見える。
ロシア人の多くは撫遠はハバロフスクの対岸にあると勘違いしているが、そうではなくて、ハバロフスクと同じアムール河右岸にある。
撫遠からハバロフスクまでは、アムール河の流れに沿って下るので50分で行ける。
ロシア人はビザなしで2、3日滞在してショッピングと中華料理を楽しめる。
寝具、絹製品、靴、衣類、家電、医薬品、酒、そしてあらゆる日用品が安く買える店があり、店員はロシア語で接客してくれる。
帰りの船に持ち込める荷物は50キロ以内。どこでもルーブルが使えるが、元が欲しいならばロシアで両替しておく方が得。
タクシーは町の中はどこへ行っても一律5元。撫遠で手に入るのでウォッカを持ち込む必要はない。
露中会話帳まで掲載しているこのパンフレットの極め付きは、何と言っても最終頁の次のアドバイスだろう。
「中国では中国人は常に正しい」。どんな場合でも中国人と揉め事を起こさないように。
喧嘩になると大勢の中国人が必ず同胞の味方に付くので、争っても無駄だというのだ。
パンフレットに載っている地図は、中心街の主な商店、レストラン、ホテルの位置がわかる簡略な1枚のみだ。
これこそ撫遠式「おもてなし」の心遣いだろう。
撫遠で学ぶ中国の経済力
2012年に撫遠まで伸びた鉄道駅を見に行った。
佳木斯(ジャムス)と哈爾濱(ハルビン)行きの列車が日に数本発着するだけなのに、なぜか巨大な駅舎がそびえ立っている。
そして翌日、哈爾濱へ移動するために2014年開業の撫遠東極空港へ行くと、やはりそこにも大ターミナルがあった。
哈爾濱の他に佳木斯、北京、上海へ飛んでいるだけで便数は少ないのに。
このスカスカの駅舎と空港が人と物で埋まる日までに建物が老朽化してしまわないかと思うのは、心配性の日本人くらいだろう。
哈爾濱の松花江には、昨年はなかった新しい橋がかかっていたし、
哈爾濱から瀋陽の間には3年前にはなかった高速鉄道が完成して和諧号が走っていた。
中国の経済成長はめざましく、日本の高度経済成長期の記憶が薄れつつある私たち日本人には、刺激が強すぎるかもしれない。
初めて訪れた瀋陽で滞在を一日延ばして街を歩き回ったら、雑踏、排気ガス、騒音、町のエネルギーに当たったのか、
夕刻にはすっかり疲れ果てた。夫も私も海外で日本料理を食べることはまずないが、この日は、
ホテル近くの日本居酒屋に入ってホッとした。
さて、帰国直後の9月6、7日にウラジオストクで安倍首相も出席する東方経済フォーラムが開催された。
プーチン大統領は日本に対して辛辣だったそうだ。
過去2年のロシア極東地域への外国投資額およそ90億ドルの8割は「友人である中国からの投資」だという。
経済協力8項目などで日ロ経済も好転かと思っていたが、中国パワーには遠く及ばないようだ。
さらに、翌10月の第19回中国共産党大会で習近平氏が行った3時間半の大演説にも中国経済発展の壮大な目論見が盛り込まれていた。
目先の数年ではなく今世紀半ばまでを見据えて計画を立てているとは。
撫遠のでかい駅舎や空港ターミナルにも納得。大演説にはヘイシャーズ島で見た「一帯一路」もキーワードとして登場。
撫遠もヘイシャーズ島も国家戦略の一翼を担ってこれから発展し続けるのだろう。
「前方国界」で永遠の友情を誓う |
昨年に引き続き中露国境地帯には、新たな知見がたくさん転がっていた。 まだ旅の半ばというのに、団員の間では来年のブラゴヴェシチェンスク・黒河を超える中露国境紀行の話が持ち上がっていた。 クライマーズ・ハイならぬボーダーズ・ハイに陥っている感あり。 今回も楽しい旅の仲間とサポートしてくれた皆様に深謝して擱筆。
[2017.11.7]