Essays
中露国境紀行について:一学生の視点から [pdf版]
宮腰 更(東北大学経済学部一年)
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2016年9月10日、その日は私にとって記念すべき日になった。『国境』を『鉄道』で超えたのだ。
中露国境紀行に参加した私は、ローカル線のような列車で、車窓から山々を眺めながら 中国からロシアに入国した。
今回色々なご縁があって中露国境紀行に参加させて頂くことになった。このツアーの概要を伺ったところ、
「国境」から中露関係、二国と日本の関係など国際関係を学ぶ学術的なツアーであること、そして国境を研究している大学教授の方が同行し解説してくださるとのことだった。
ただ、正直なところよく理解していなかった。
国境学?ボーダーツーリズム?うまく想像できない。とりあえず国境学の専門家で解説してくださる岩下明裕教授の御本を読み始める。
難しくて半分も 読めなかった。
一日目は新潟を観光、二日目から中国ハルビンへ。ハルビンはヨーロッパ風な建物が並んでおり、チャイナタウンのような町並みを想像していたがそれとは少し異なった。
ハルビンは日本人、ロシア人、ユダヤ人などの多くの外国人が居住していた時代がある。
そのため西洋風の建物が並んでおり、町並みは中国というよりヨーロッパ風であった。
ハルビンの聖ソフィア寺院を訪れる。中は資料館になっていて昔のハルビンの様子を展示から知ることができる。
その後、街をまわったがさすが中国と思った。人と交通量が半端じゃなかった。そして三日目は「侵華日軍731部隊罪証陳列館」を見学した。
恥ずかしながら731部隊についてほとんど知らなかったため、博物館から様々な情報を得て色々考えさせられる機会となった。
戦争から生まれた悲劇について考えさせられる機会となった。
夜行列車でハルビンから綏芬河へ移動する。四日目は綏芬河の役所の方にまちの案内をして頂く。国境沿いのまちであり、ロシア人の観光客も少なくないとのこと。
国境沿いということでロシアから鉄道で主に木材などを輸入している。
五日目の9月10日、中国・綏芬河からロシア・グロデコボへ向かうため駅へ向かう。
駅に向かいながら、今後は「新幹線」を走らせるということを聞いた。列車で国境を越えることはなくなるかもしれない。
駅で待っていると、中国人が近づいて来てモノを売りに来る。ここに来るまでに何度か経験したが、中国の人は言語が違っても気にしないで話しかけてくる。
鉄道の駅であるが、税関があるためパスポートを出す。
乗る列車は日本のローカル線のようであった。ボックス席が並ぶ車内にスーツケースと自分の体を押し込む。中国のツアー観光客やロシア人商人が乗っていた。
中国とロシアはビザなしで互いの国を観光することができる。また2015年にルーブル下落が起こってから中国人観光客は増加している。
ロシアが発展を遂げていた時は中国商人がロシアにやってきて仕入る方が多かったそうだが、現在はロシア人が中国に買い出しにくることが多いとのこと。
すこし列車に揺られていると、国境警備隊が乗りこむためになにもないところで停車する。見渡す限り木々が生い茂っていた。
そろそろ国境線を越えるところだと告げられる。
ツアーの皆がカメラを構える。見えた!国境線を表す石碑だ!と思ったがすぐに見えなくなってしまった。
早すぎてカメラに収められなかった。
ちなみに石碑といったら大きく立派な石を想像してしまうかもしれないが、日本でいうと県境においてある石ほどの大きさだと思われる。
その後はゆったり深い山々に沿って電車が進んでいった。
なんだか不思議な感覚だった。
こんなにも簡単に国と国を越えられるなんて。飛行機や船でしか他国へ入国できない日本ではあまり考えられない。
国境という線がそこに存在するということが頭で分かっていても、実際に越えることとは違うのだなと思った。
地続きに国があるということ、明確な国境線があるということは 私にはあまりない感覚だった。
こじんまりとした駅についた。まず一番初めにロシア人が降りる。税関を通る時の順番はロシア人、中国以外の国の観光客、中国人となっている。
中国人観光客はビザがないため審査に時間がかかるためだ。列車内で降りるのを待っているときに、私はスマートフォンで窓越しに駅を撮影していた。
すると国境警備員が車内に入ってきた。そして駅をカメラに収めていた別のツアー参加者の写真を消すように促した。
私は咄嗟に目を逸らして私はなにもしていないです、という振りをした。
だめだった。こっちに警備員が来た。彼は私のスマートフォンを渡すように促した。
そして警備員は日本語の「削除しますか?」のはい/いいえをまったく間違えず押して、私が撮った写真を1枚ずつ消していった。
そして外の撮影禁止の看板を指差した。
私はなんてケチなんだろうと思いながら、器用さから彼は今までに何千枚と同じことをしてきたのだろうと推測した。
私は国境線の緊張関係によるものでこんなにも厳しいのかなと思った。ただよく考えてみると、どこの税関でも写真撮影は禁止であるから警備員の行動は正しかったと言える。
確かに税関を撮ろうなんてこと日本の空港でもやっている人はいない。
そこで気づいたが、私はあの場所を税関審査があるところだということを理解できていなかったのではないか。
私は税関を撮ろうという気持ちはほとんどなく、駅を撮ろうとしていたのだ。
税関=空港にあるものという概念が頭にある私は地続きであることを表面上は理解しても、無意識の内ではまだ受け止めきれていないのかなと感じた。
六日目はグロデコボから移動したウラジオストクにて市内観光。
5年前に一度訪れているのだが、以前より活気があるように感じた。実はロシアが投資を進めている場所であり、2012年にAPECが行われた都市でもある。
半島の湾をクルージングし、おいしいボルシチを食べて街中を巡った。
最終日には日本人墓地に献花しウラジオストクからソウルへ飛行機で移動。
名残惜しくも参加者はここで解散。
こうして七日六泊の旅は終了した。
ツアーが終わったあとに色々振り返って思ったことが「すごかった」だった。
まず参加者の方。大学教授、研究職の方々、新聞記者、フリーライター、退職されて老後を楽しんいる方、他にも多種多様な職業の方々が参加されていた。
経験豊富なプロフェッショナルの方々とお話しできたことは貴重な体験となった。
それだけでなく参加者の方々の好奇心と知識欲、そして自分の考えを示そうとする姿には大変勉強になった。
そしてツアーの内容。特に国境を越えるということを体感できたこと、国を越える上での一種の緊張を垣間見られたことはとても刺激的な経験であった。
岩下教授が「ボーダーツーリズムははまる」とおっしゃっていたがよく分かる。
お金と時間に余裕があったらまた参加させて頂きたい。
最後に、今回のツアー参加者の皆様、添乗員さん、エムオーツーリストの方々、携わって頂いた様々な方にお礼申し上げたい。
大変魅力的で素晴らしいツアーでした。本当にありがとうございました。
[2017.1.7]