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稚内・北航路:サハリンへのゲートウェイ 番外編:

  ペンギン 33 号乗船記  [pdf版]

井澗裕(スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員)  

 北海道稚内市とサハリン州コルサコフ市を結ぶ定期航路は、戦前期には 稚泊(ちはく)連絡航路と呼ばれ、樺太の社会を支える大動脈となっていた。 この航路は 1945 年に消滅したが、ソ連崩壊後の 1994 年にサハリンの船舶会社によって復活し、1999 年には日本のフェリー 会社がこの航路に参入した。旧島民の墓参や故郷訪問やロシア人の買い出しなどに活用されたこの航路も、 オイルマネーによるサハリンの地域経済の飛躍的発展や、旧島民の利用減少などの影響を受け、2005、6 年をピークとして退潮傾向が続き、 2015 年に日本のフェリー会社が撤退を決定、就航船舶のアインス宗谷もすでに売却され、定期航路は断絶の危機にあった。
  しかしながら、この航路はサハリンと北海道の地域交流・友好関係の促進という点でも重要な意味があり、 何としても存続を図りたい稚内市は、第三セクターによる北海道サハリン航路(藤田幸洋社長)を立ち上げ、 サハリン州の協力を得て、まさに急転直下の展開で、本年度の定期運航が決定した。 具体的には、ロシアの運航会社・サハリン海洋汽船(SASCO)がシンガポールの船舶会社より 双胴船ペンギン 33 号(270 トン・80 名)を借り受け、運航経費はサハリン州行政府と日本側が応分に負担すること、 運賃は昨年までの水準を維持すること、2016 年 7 月から 9 月で 16 往復 32 便を運行させることで 日露双方が合意、7月4日にユジノサハリンスクで契約調印式が行われた。

 

ターミナル2階から一人見送る中川善博さん(稚内市職員)

ペンギン 33 号乗船記

 コルサコフと稚内を結ぶ航路が今年(2016 年)の夏に再開されると聞いた時、僕は驚いたし、嬉しかったし、呆れた。 昨年の冬に関係者から漏れ伝え聞く話では、うまくいっても、再来年(2017 年)の話だという印象があったこともある。 でも、夏も間近の 6 月になってから「再開が決まりました!」などとアナウンスしたところで、正直言って、まともにお客 さんが集まるとは思えなかった。
  僕にしたところで、今年はちょっと様子を見て、来年にチャレンジしようかと、実は考えていた。 そこへ、例によって岩下明裕先生からメールが来て、「ちょっと乗ってみませんか」 というお誘い(指令)が来たのである。8 月は大事な原稿があってそれに集中する予定だったから、少し迷ったのだが、 結局は引き受けることにした。何しろ、今年の札幌は暑かったので、ちょっと涼しいところで原稿が書きたかった、というのもある。
  というわけで、8 月 11 日札幌を発ち、翌 12 日に稚内からコルサコフ行きのフェリー・ペンギン 33 号に乗り、 13・14 日をユジノサハリンスクで過ごして、15 日のフェリーで帰国するというプランを立てた。 稚内までの道中については、北都観光の米田正博さんからは長距離バスを勧められたが、 スーパー宗谷に乗ることにした。稚内ではグランドホテルに一泊し、朝風呂を堪能してフェリーターミナルに向かった。
 快晴。風もなく穏やかな日和である。ターミナルには稚内サハリン課の中川善博さんがいらしたので、少し談笑する。 中川さん曰く、
 「ね、小さいでしょう?」
 ちんまりと 碇泊(ていはく) するペンギン 33 号は、わかってはいたが、やはり小さい。何しろ 270トンなのだ。 昨年までのアインス宗谷(2,267 トン)の十分の一しかない。座席数も 80 と 半分以下だ。「揺れますよぉ」と、ある友人にもさんざん脅された。ただし、自慢ではないが、僕はこれまで船酔いとは無縁だった。 それでも今回は、普段は飲まない乗り物酔いの薬を用意した。

  いよいよ船に乗る。乗客は30人ほどで、うち日本人は僕を含めて10 人弱。 どこか「自分探し」っぽい若者の人たち、商売人っぽい初老の男性、幼児を連れた若夫婦などの他はたんまりと日本土産を抱えたロシア人たちだった。 ペンギン 33 号は前方三分の一ほどが遊覧船のような椅子席で、後ろ半分は客船とは思えないほど雑然としている。 客席の正面にはやや大型の液晶テレビがあり、ロシア語と日本語で非常用設備のアナウンスを何度か繰り返した後は、 ヒロイックファンタジーっぽい洋画が流されていた。
  この船はシンガポールの船舶会社の船で、それをサハリンの SASCO(サハリン海洋汽船)がチャーターしたものだ。 船員さんも浅黒いマレーシア系の人達だった。そのせいか、船内は冷蔵庫かと思うくらいに冷房が効いている。


 それで乗客は、ほとんど全員がほどなく毛布にくるまることになった。そもそもデッキに出られるわけではなく、売店があるわけでもない。 ただ椅子に座ってじっとしている以外にすることがない。 海面は穏やかで、まさに快適な船旅日和だったが、それでも宗谷海峡に出ると自分が海を「漂っている」ことを実感する程度には揺れた。 斜め隣の若夫婦は船酔いで苦しそうだった。 テレビ画面では映画の主人公が壮絶な戦いの渦中にあったようだが、寒いからか船酔いのせいか、誰も画面を見ていなかった。 僕自身は酔い止め薬でかなり眠くはあったが、幸いにも船酔いはしなかった。ただ、原稿は全然捗らなかった。

  ペンギン 33 号は 4 時間半でコルサコフに到着する予定だった。しかし、実際は 4 時間もかからなかった。 つまり、15時 30 分に入港する予定だったが、実際には 14 時 30 分過ぎくらいにはコルサコフ付近にたどりついていた。 だが、到着が早すぎて入港許可が出なかったのかもしれない。 しばらく微速前進のまま、コルサコフの沖合をウロウロと漂っていた。 15 時を回るとようやく埠頭に接近し、無事に接岸したが、今度は税関までの連絡バスがやってこない。 案の定、初めてサハリンを訪れたらしい日本の人たちの顔には苦笑とイライラがあった。 一方で、人数が少ないだけに税関の手続きは比較的スムーズだった。
 宿泊先は北都観光さんにサハリンサッポロホテルを手配してもらった。滞在中のことは、紙幅の都合もあるので詳細は省略する。 なお、原稿は捗らなかった。

 帰りはちょっと心配だった。 台風が接近していたからだ。欠航の場合は前日に連絡があり、 翌日に延期されるということだった。ただ、ペンギン 33 号は小船だけに時化には弱い。 波高2.5m で欠航になる。そうなると少々面倒くさい事態になる。
 幸い、ぐずついた天気ではあったが、船は出た。出航は午前 11 時と聞かされていたのだが、 抜錨が 10 時 35 分頃で、「え?!」と思ったら、ペンギン 33 号はもう走り始めていた。 おそらく予定の乗客がはやく乗り込んできたためだろうが、30 分も出航を早めてよかったのか?
 案の定、帰りの船は揺れた。客席前のテレビではニンジャタートルズの実写版が流れていたが、往路以上に誰も見ていなかった。 みんな毛布にくるまって、こみ上げてくるものを必死でこらえていた。 僕もまた、船酔いとはこういうものかと生まれて初めて体験することができた。 もちろん、原稿は捗らなかった…というより、パソコンを開く心理的余裕がなかった。 時計を睨みつつ、この苦行から解放される時間を待ち続けるだけだった。
 予定では稚内到着は 13 時 30 分だった。でも、12 時前にはもう着いていた。 ペンギン 33号はコルサコフの時のように、沖合を 遊弋(ゆうよく)することもなく、まっすぐにフェリーターミナルに接岸した。 接岸するとすぐに上陸することができた。やっぱり日本はありがたい(笑)。

 

感想を述べると・・・

 というわけで、ペンギン 33 号は想像以上に問題の多い船だった。船内に全く飲食設備がないので、 自前で用意しなければ水さえも飲むことができない。 案外堪えたのは、椅子席しかないので、アインス宗谷の時のように、ゴロンと横になれないことだ。 来年も運航するのであれば、フェリーでいう二等船室のようなスペースは是非つくって欲しい。
 何よりも、クルーがロシア語も日本語もほとんど話せない。現状で「緊急時の安全管理は万全です」とはいえないはずだ。 それに、抜錨・到着時刻が早すぎるのも不安材料だ。 僕は素人だからうかつな批判は慎みたいが、はっきり言って、あの船がきちんと規則どおりに航海をしているようには見えなかった。
 もちろん、関係者は今回のペンギン 33 号という選択がベストだと考えているわけではないようだ。 ただ利用できる船舶の規模が大きく変わらない以上、船旅の楽しさとか、快適さとかはもう期待すべきではないようだ。
 以上のような理由から、航路再開は拙速だったのではないか…と少々批判的な結論を書こうとして僕は思い返した。 実のところ、今回の旅行が「久々に面白かった」ことに気づいたからだ。 やや逆説的ながら「色々と大変な」旅は、安心で快適な旅よりも、ずっと美味しい。 昔、僕が研究を始めたころ、サハリンはまだ「珍しい」「大変な」ところだった。 色々と苦労もした。 でも、それは他人に面白おかしく話せるエピソードでもあった。 今回のように「いやあ、大変だったわ」と、他人に話せる旅行は、ちょっと貴重なのだ。 それはいかにもダメそうな映画を見て「ホント、駄作駄作。見るだけ損!」と熱っぽく語れる快感に——関係諸氏には申し訳ない話だが——やや似ている。
 その意味で「確かにコルサコフまで行けるけど、環境的にはアレですよ」というミニマムな旅行は、企画としてはそれなりに面白いと思う(でも安全対策はしっかりやって欲しい)。 もちろん、それで掘り起こせる需要などたかがしれているし、これは過渡期だから許される話であって、 永続的にこうした「駄作映画」路線で運営すべきではない。 ただ、そもそもが座席数 80 の小船なのだ。 
  そういう開き直ったプロモーションができるなら、案外これでイケるかもしれないというのが、僕の率直な感想である。

(2016 年 8 月 24 日記)

[2016.8.27] 掲載


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