Essays
白い国境線・ナルヴィクにて
—くにざかい(国境)をゆく(5)—
竹内 陽一(JCBS理事)
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北緯68度25分、北極圏の街、ノルウェー・ナルヴィク。
日本人には馴染みのない地名だが、ヨーロッパのお年寄りには懐かしい響きをもった地名だという。第二次世界大戦、この極北の街でドイツと連合国が激しい攻防戦を繰り広げ、連合国が初めて勝利した戦線だからだ。
しかしドイツ軍はこの直後にフランスに侵攻、このため連合国側も、いったんナルヴィクを撤退する舞台となったところだ。それにしてもこの北極圏の街が何故、それほどの激戦地となったのか。
ナルヴィクには、スウェーデン北部の中心都市、ボスニア湾に面したルーレオから向かうことにした。私がルーレオを訪れたときは真冬の晴天、しかし放射冷却現象で、氷点下15度はあるだろうか。 雪は少ないが、氷海から吹き付ける風は肌を刺すようだ。港は完全に結氷し、冬の間、島々への往来は船ではなく、車が交通手段だ。繁華街では、黄色い薔薇の花などを埋め込んだ氷像が並んでいる。市民の素朴な氷祭りなのだろう。
ルーレオは500年ほど前に形成されたガンメールスタードの教会地区によって、街の基礎が築かれた。港から10キロほど離れた内陸の丘陵に、いまもその街は残っている。 15世紀に建造された石造りの教会を取り囲むように木造の可愛らしい宿泊施設が400あまり立ち並ぶ。当時、北スカンジナビアでは教区が広く、交通手段もないことから信者は50キロも100キロも先から境界を越え、礼拝のためにやってきたので、こうした宿泊施設がつくられた。 当時、辺鄙な極北の地に暮らす人々にとってこそ「心のよりどころ」が必要だったのだろう。
坂道を登っていくと、ところどころ窓辺に一輪の花が飾られた家があって、明かりがともり、一部は住居として使われているようだ。真冬の季節だから訪れる人も少ないのだが、教会の前で5人のグループが、司祭らしき人から説明を受けている。 写真を撮っていた私にも声をかけてきた。「あと3時間ここにとどまっていたら、素晴らしいオーロラが教会に降りそそぐよ」 日本人がカメラを片手に北欧を放浪していると、どうもオーロラの旅、と思われるようだ。 残念ながら私には機材装備や撮影技術、そして執着があるわけでもない。大体、そう言われてもあたりにはカフェがあるわけでも、暖を取りながら休む場所もないのだ。丁重にお礼を言い、やってきた路線バスに乗ってルーレオ駅前のホテルに戻った。
翌朝、ルーレオ午前10時10分発 ナルヴィク行のオーフォート鉄道の旅人となった。ルーレオ・ナルヴィク間473キロ、1902年に全線が開通し、現在はフル電化路線だ。 出発時は車内もすいていたが、ストックホルムから北上してきた鉄道と合流するボーデン駅でどっと人が乗り込んできて満席状態となった。その多くが背中に大きなリュック、片手にスキー、そしてもう片手には犬を引き連れてる。 犬はいつものことさ、と言わんばかりに座席の下に滑り込み、何事もなく寝そべっている。スカンジナビア山脈に向かう沿線は国立公園エリア、夏はアウトトレッキング、冬はノルディックスキーで賑わう。
ボーデンを出ると次第に上りこう配になる。進行方向の右手、つまり北東部はラップランド、フィンランドとの国境を挟んで、もともと先住民族・サーミの居住地域だ。 車窓の雪原には時折、トナカイの群れも見え始めた。
14時30分過ぎ、キルナ着。ヨーロッパ最大の鉱山がある街だ。鉄鉱石の採掘は、1800年代から始まった。オーフォート鉄道が敷設されたのはこの鉄鉱石を輸送するためだ。 夏は輸出先によってルーレオとナルヴィクに振り分けられるが、冬はボスニア湾に面したルーレオの港が結氷するため、ノルウエーのナルヴィクに運ばれる。ナルヴィクのほうが緯度は高いが、メキシコ湾流の影響を受け、真冬でも結氷しない不凍港なのだ。
第2次世界大戦下、ナルヴィクが激しい攻防戦の舞台になったのも、この鉄鉱石の積出港死守に起因する。ドイツは戦車や潜水艦Uボートなどを量産するため、キルナの鉄鉱石確保が至上命題だったのだ。
キルナの停車時間が20分もある。ホームに降りてタバコを吸っていると、電気機関車を先頭から後尾へ付け替える作業をしている。思わず車内に戻って事前に入手した詳細な鉄道路線図を見たが、やはりキルナはスイッチバック駅にはなっていない。 再びホームに降り、地図を片手に駅員に問いかけた。「ああ、これは5年前の古い路線図だね」と熱心に説明してくれた。200年以上にわたって採掘を続けているキルナ鉱山の坑道は、今や町の中心部の下に迫っている。坑道を掘り進むと当然、地盤沈下が起きる。 そのため、街の中心部を丸ごと別なエリアに移す壮大なプロジェクトが進行中で、その手始めとして、駅や鉄道の切り替え作業をおこなっているのだという。キルナはスウェーデン屈指の山岳リゾート地、一方で鉄鉱石の城下町なのだ。
列車はスイッチバックして本線に戻り、北上を続ける。スカンジナビア山脈を超え、国境線の手前からあたりから列車の進行方向右手にフィヨルドの風景が続く。 キルナやアビスコ国立公園で乗客の大半が降り、車内はすいてきた。外は一転して吹雪模様。山脈を一気に下るにつれフィヨルドがさらに眼下に迫って来る。 青白い水面が広がり、海への接続を予感させるころナルヴィクに到着した。ほぼ定刻の18時10分。世界最北の鉄道駅、と言いたいところだが、厳密にはロシアのムルマンスク駅(北緯68度50分)が極北の駅。 ナルヴィク駅はわずか25分及ばないが、内外の旅行客が自由に乗り降りできるという意味ではやはり最北だ。小さな駅舎、黄色い駅灯が、「地の涯の終着駅」を実感させる。
翌朝、ホテルから1キロほど離れた住宅街に向かう。ナルヴィクからアルタにかけては、8千~5千年前の先住民族・サーミが残した岩絵(petroglyph)が点在している。 描かれているのは、トナカイやクマ、それを追って狩りをする、あるいは魚を獲る人々などだ。向かった先の住宅街の一角にもその岩絵があるという。 地図を片手にウロウロしていると、不審に思った中年の男性が出てきたので「ROCK ARTを探している」と言うと手招きをしてその住宅の裏手にある小高い丘に誘導してくれた。 彼はしゃがんで地面の雪を払いはじめたのだが、首を振りながら肩をすくめた。積雪は数センチほどだが、雪氷がへばりついて、岩絵を見ることが不能なのだ。
そのとき、知人の考古学者の話を思い出した。その研究者は岩絵を見るためにだけ春先、札幌からアルタに赴いたのだが、同じような状況で岩絵を自分の目で確認出来ず、博物館だけを見てスゴスゴ帰ってきたという失敗談だ。 屋上屋を重ねた笑い話を帰ったら報告してあげよう、多分彼も「安心」するはずだ。案内してくれた中年男性は慰めるように「今度はもっと季節の良い6-7月においでよ」とポンと肩をたたいてくれた。
ホテルに戻ってスープの朝食を取った後、街の中心部にある戦争博物館に足を運んだ。5ユーロを支払って、「写真を撮っていいか」と聞くと館長らしき女性が出てきて、一緒に歩きまわりながら説明を始めた。 1Fは大砲や砲弾、戦車の一部などが展示されている。第二次世界大戦初頭、ナルヴィクはドイツ軍にとってキルナの鉄鉱石を本国に輸送するための最重要拠点だった。 当時、ノルウェーは中立の立場をとっていたが、ナチス・ドイツの一方的な占領によって連合国に組み込まれることを余儀なくされる。 政府と国王はロンドンに亡命、連合軍は一度は、ナルヴィクを奪還するが、フランスへの兵力展開のため撤退し、孤軍奮闘のノルウェー軍は数でドイツ軍に圧倒され、再び占領される。
2Fには戦時中の写真や、公式文書、そしてスチール構成の映像が展示されている。映像は3回繰り返し観せてもらい、大筋が理解できた。 ナルヴィクのフィヨルド地形はUボートの隠れ基地としても打ってつけだったのだ。激しい海戦と山岳戦で犠牲となった兵士は5キロほど離れたホークヴィクと呼ばれる丘に埋葬されているという。 案内してくれた女性は「ナルヴィクの海には数百隻の船が沈んでいて、70年たった今、その沈船を探索するダイビングツアーが静かなブームになっているのよ。」と説明した。 気が付いたら入館してからすでに3時間近くが経過している。別れ際、彼女は「立場は違ったけれど、日本も大変な犠牲を払って終戦を迎えたのね」とも付け加えた。
戦争博物館の目の前が市庁舎広場だ。広場には戦禍に伏した子供のモニュメントがあり、ノルウェー語と日本語で「平和を未来に誓う」と刻まれている。 やや離れたところにはやはり両国語併記で「広島の爆心地から来ました」と記された長方形の石が置かれていた。博物館の女性館長が、日本人の私に親近感を持って対応してくれた理由が分かったような気がした。
300メートルほど離れたところにあるショッピングモールに向かって高架橋を渡っていると、鉄鉱石を積んだ長い貨物列車が足元を通過していく。 もうその先が港だ。モールの入り口で氷点下12,3度の寒空に毛布一枚を敷き、紙コップを片手に物乞いをする女性がいる。「北極圏の街にまで来て・・・」と一瞬気分が暗くなったが、店内に足を踏み入れるとその賑わいぶりに圧倒される。 人口1万3千人の街とは思われない活気だ。市内ばかりでなく近隣からも買い物に来るに違いない。物資がベルゲンから3日もかけ沿岸急行船で運ばれてくるせいだろう、何をとっても値段は驚く程高い。 大きめのサンドイッチとコーヒー一杯で1800円あまり、何とか遅く、高い昼食にありついた。
この夜、ナルヴィクにもオーロラが現れた。港の奥のフィヨルドの空が数キロにわたって緑のカーテンに飾られた。北欧には5回ほど足を運んでいるので初体験ではないが、その数少ない経験値でいうと、写真や映像で見るのと、肉眼で見るのでは大分違う。 写真・映像はかなり重層的だが、実際のオーロラは極薄のベール、背後にある星々が透き通って見える。微かな天空のメッセージだ。私は立ち止まって見上げているが、市民はちらっと一瞥するだけで、黙々と凍てついた道を歩いている。 北極圏に暮らす人々にとっては、ごく普通の「日常風景」なのだ。ホテルに戻ってフロントの青年に話しかけたら「この時期は晴れさえすればほぼ毎日ですよ」と淡々としている。 「赤いオーロラは?」とたたみかけると「滅多に出ませんね。私が見たのはもう10数年前の子供の頃。そのときは全天が赤に染まって街中が火事になったようで、恐ろしくなった記憶があります」と真顔で答えてくれた。
次の日はナルヴィクの南、ボーデに向かう。直線距離にして100キロ余りだが、フィヨルド海岸の複雑な地形で道路は280キロ弱、この区間は鉄道は走っていないので、長距離バスだとほぼ5時間かかる。
コミューター航空なら40分、どちらのルートにも魅力があったが「地球上で最も美しい風景」と言われるロフォーテン諸島を望むために空のルートを選んだ。
港の岸壁上にある小さなローカル空港から飛び立つ。64人乗りの双発ボンバルディアの乗客はわずかに3人。進行方向の右手、西側にロフォーテンの島々が浮かんでいる。
緯度が高いせいだろう。島の山々に緑はなく、むき出しになった岩肌が氷雪におおわれている。雲の切れ間から一瞬、太陽が顔を出し、穏やかな海がきらめいた。
そのとき「この海には何百隻もの船が沈んでいるのよ」という女性館長の言葉を思い出していた。
[2015.01.10]