Essays
国後島の周りを半周ほど。
伊藤 薫
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数年前の8月の下旬、初めて根室と知床に行く機会を得た。
「北方領土は至近である」ということは知識としては知っていた。納沙布岬から見る歯舞群島はTV映像などでお馴染みのものだった。
しかし、宿泊先のホテルの窓外の景色には驚いた。根室の市街地のすぐ先に国後島が浮かんでいる。巨大な防波堤のように横たわっている。
視覚体験は強力だ。ぼくは、それまで漠然と考えたり感じていたことと、目の前のビジュアルとの間で、居心地が悪かった。
別海町の野付半島。ここから国後島までは16kmしかない。晴天の下、はっきり見える。最初に出てきた言葉は、やはり「ちけーぇ!」という見たまんまの感想だ。右側の雲が纏わり付いているのが羅臼山だろう。
こちら側の岸から国後に向かって延びているのは、鮭漁の定置網の浮きだと思う。この海は漁業者の仕事場、生活の場だ。と、同時に、多くのフライフィッシャーやルアーマンがサーモンやトラウト目当てで訪れる道東河川の出口であり入口である。もし国後、択捉に日本人が自由に出入りできるようになれば、相当な数の釣り人が海を渡ることになるだろう。なにしろニュージーランドよりも、カムチャツカよりも、さらにはサハリンさえよりも圧倒的に近い。多少の遊漁料など気にするワケがない。かく言うワタクシもその一人だ。
知床半島南岸の羅臼町の朝。帯状の低い雲が国後の山々を隠している。羅臼は、日本人が自由に行けない土地から朝日が昇る日本唯一の町だ。 半島の、自動車で行けるギリギリの所では小さな小屋の前で昆布が干されていた。そこで作業していたおじさんは、1973年の爺爺岳の噴火を見たのだそうだ。
[2014.05.15]